視聴率が落ちていく一方のテレビ、ベムはテレビからデジタルにCM枠が移行していくことでの最大の懸念は、「CMの受容性」であると考える。

テレビCMは何十年もかけて視聴者とテレビ局とでの「和解」を形成してきたと思う。例えば、「視聴質データ」を見ると一社提供番組では番組からCMへ移行しても画面注視率が落ちないことが分かる。テレビCMはネイティブとまではいかないが、現状のデジタル広告と比べるとはるかに視聴者の受容性が高い。

 インプレッションという単位を、JIAAとWeb研の共同作業の用語定義(用語集)で決めたのはベムだが、このインプレッションにも質がある。そもそもテレビとデジタルとでは視聴態度が違う。テレビはパッシブで、デジタルはアクティブ。当然だがYouTubeではサムネを見てコンテンツを視聴しようとする態度は、コンテンツに強く傾注している。そこへカウンターで投じられるCMの受容性はとても高いとは言えない。無理やり接触させているCMのインプレッションをテレビと同等に評価できるだろうか。昔はCMに対するネガティブな評価は、無視されるよりはマシと考えたものだが、現状のデジタル広告に対する視聴者のネガティブな反応はまさに「逆効果」、単に嫌がられているのだ。いや、嫌がられていて無視されている。

 デジタルにおけるターゲティング配信機能については、96年からネット広告に携わってきたベムはその歴史の中にいたので、よく理解しているが、いまだ本当のターゲティング配信は実現していない。昔からベムが言ってきたのは、ターゲティングとは同じメッセージ(クリエイティブ)で対象者を絞り込むことだけではない。ターゲットによってメッセージを最適化することこそがターゲティングだ。

 そうしたターゲティングもなお不十分なまま、視聴量が増えたことで「広告枠」をつくった。YouTubeは嫌ならプレミアム会員になればいいので、どちらでもいい。受容性を考慮する必要がないのだ。

 

 この結果、テレビを観ない若い人たちにとって、すべからく広告はひたすらにウザいものでしかないのだ。「広告は文化」と言われた時代を知るベムには寂しい限りだ。

 さて、こういう状況だからこそテレビが生き残るためにやるべきことがある。

 

放送で生き残るのではなく、CMの効果で生き残るのだ。放送だけで生き残れないのは必定だ。当然配信を含めて、プロのコンテンツと受容性の高いCMで生き残るのである。

 そのためにすべきことは、番組コンテンツとの連動制の高いネイティブCMの制作をテレビ局が積極的に関わって、AIによるクリエイティブを行うことだ。

 教師データは先ほどの「画面注視率」でもいい。デジタルより受容性が高いテレビ視聴環境で、コンテンツ(番組)に対してネイティブなAIクリエイティブが動的に生成されてもいいのではないだろうか。

 つづく